有馬記念:歴史

1956年 – 中山競馬場の芝2600m(内回り)の4歳(現3歳)以上の馬齢重量の重賞競走「中山グランプリ」として創設(創設当初の負担重量は4歳(現3歳)が牡馬・騸馬54キロ・牝馬52キロ、5歳(現4歳)以上が牡馬・騸馬55キロ・牝馬53キロ)。
1957年
名称を「有馬記念」に変更。
6歳(現5歳)以上の負担重量が4歳(現3歳)と同じく牡馬・騸馬54キロ・牝馬52キロに変更。
1959年
この年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
ガーネツトが牝馬として初の優勝。
1960年 – 芝2600m(外回り)に変更[9]。
1960年 – 高松三太が騎手として初の連覇を果たす。
1965年
5歳(現4歳)の負担重量が牡馬・騸馬56キロ・牝馬54キロに、6歳(現5歳)以上の負担重量が牡馬・騸馬55キロ・牝馬53キロにそれぞれ変更。
シンザンが優勝し五冠達成。
1966年 – 馬場改修に伴い施行コースを芝2500m(内回り)に変更。
1970年 – スピードシンボリが史上初の連覇。
1971年 – 混合競走に指定。
1977年 – テンポイントとトウショウボーイのマッチレース、テンポイントが優勝。
1980年 – 4歳(現3歳)の負担斤量が牡馬・騸馬55キロ・牝馬53キロに、5歳(現4歳)の負担重量が牡馬・騸馬57キロ・牝馬55キロに、6歳(現5歳)以上の負担重量が牡馬・騸馬56キロ・牝馬54キロにそれぞれ変更。
1984年 – グレード制施行によりGI競走に格付け。
1985年
シンボリルドルフが史上2頭目の連覇及び七冠を達成。史上初のJRA・GI競走7勝を達成。
同年に限り当時ジャパンカップのみの採用であった馬名入りゼッケンの試験的な使用を行う(この結果1987年秋競馬より馬名入りゼッケンの他競走への拡大を実施)。
1987年 – メリーナイスがスタート直後に落馬。1番人気サクラスターオーが最後の直線手前で故障発生、競走中止。
1988年
オグリキャップが当競走で引退と決まっていたタマモクロスとの「昭和最後の芦毛対決」を制する(タマモクロスは2着)。
3位入線のスーパークリークが進路妨害により失格。
1989年 – 1着賞金総額が1億円台となる。
1990年 – 当競走での引退を表明していたオグリキャップが1988年に次ぐ2度目の優勝を果たし、レース後場内が「オグリ」コールに包まれる。
1993年 – トウカイテイオーが約1年ぶりの出走で優勝、奇跡の復活を果たす。
1995年 – 指定交流競走に指定され、地方所属馬にも門戸が開放される。
1996年 – 単独競走としての勝馬投票券の売上げ世界レコード875億104万2400円を記録。
1999年 – グラスワンダーが史上3頭目の連覇。
2000年 – テイエムオペラオーが優勝、JRA古馬中長距離GI競走[10]完全制覇を達成。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
負担重量を「馬齢重量」から「定重量」に変更。
5歳以上の負担重量が4歳と同じく牡馬・騸馬57キロ・牝馬55キロに変更。
敬宮愛子内親王御誕生慶祝の副称が当年のみにつく。
2003年 – シンボリクリスエスが史上4頭目の連覇。
2004年
オリビエ・ペリエが騎手として史上初の3連覇。
藤沢和雄が調教師として史上初の3連覇。
2006年 – この競走で引退が決まっていたディープインパクトが優勝、史上3頭目のJRA・GI競走7勝を達成。
2007年 – 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は6頭まで出走可能となる。
2008年
当年のみ、JRAプレミアムの対象レースとなる(同日に開催される中央競馬の全競馬場の全特別競走もJRAプレミアムの対象レースとなっている)。
ダイワスカーレットがトウメイ以来37年ぶりの牝馬として優勝。
2009年
ウオッカが史上初の3年連続ファン投票1位を獲得したがジャパンカップ(優勝)競走中に鼻出血を発症したため、日本中央競馬会競馬番組一般事項第2章のその11「痼疾馬の出走制限」の規定(1ヶ月出走停止)により出走できなかった。
史上初めて、4歳馬の出走がなかった。
コスモバルクが新記録となる「6年連続出走」を達成。